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記念物 はぜの木
はぜの木
所在地 富吉702番地先 (昭和51年2月13日指定)
江戸時代において藩内の蝋(ろう)の需要は年々多くなり、品不足をつげるようになりました。さらに幕末には江戸藩邸の入用にも、国産の蝋を回すようになりました。そこで藩では、何回も触れを出して、山裾、原野、川土手などでの櫨(はぜ)の栽培を勧め、実の買い集めに努力しました。嘉永5年(1852)の触書によると、栽培技術の指導や監督役(植物方下見回り)に、日野川東地区では下新印の為三郎が任命されています。この櫨並木はそのころからのものと思われますが、わずか数本を残すのみになりました。
はぜの木