海に暮らし、まちで暮らす。鳥取県でいちばん小さい村、日吉津村。

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村指定文化財

さいの神(記念物)昭和50年10月6日指定
所在地 富吉1081番地(昭和50年11月6日指定)
さいの神は「塞の神」が本来の意味で、悪病などが村に入らないように祭った。のちには、「幸の神」などとなって、特に縁結びの神として祭られるようになった例が多い。
祭り方は県内でもいろいろあるが、当村のように石に男女の神像を刻んで祭る例は西部では多い。12月14日の夜半、藁馬と藁づとに入れた「だんご」を供え、だんごは藁火で焼いて持ち帰る。
昔は他村のさいの神を盗むと良縁があるというので、若者が数名でかついで帰ることもあった。
さいの神(富吉)
さいの神(富吉)


さいの神
所在地 日吉津688番地(昭和50年11月6日指定)

さいの神(海川)
さいの神(海川)


須山(すやま)
(よろず)の墓碑(保護文化財)昭和50年10月6日指定
所在地 日吉津618番地
須山家は数代の医家であった。萬は17才で藩儒の正墻(しょうがき)薫や江戸の名儒塩谷(しおのや)(とう)(いん)の教えを受け、のちに藩の周旋方に任ぜられ勤王のために東西に奔走した。
江戸に出て長州藩留守居役の(しもべ)として活躍しているところを、元治元年(1864)幕府のために捕らえられた。
いったんは逃げたが、再び捕らえられ、討幕計画に加わったという罪で伝馬町の獄に投ぜられ、慶応元年(1865)3月6日斬首の刑で壮烈な死を遂げた。年24才。
明治31年正5位を贈られた。碑の漢詩は萬が生前に、父啓蔵に寄せたものである。
須山萬の墓碑
須山萬の墓碑


羽倉地蔵(記念物)昭和50年10月6日指定
所在地 富吉1018番地
羽倉(はぐら)(まご)兵衛(べえ)元陰(もとかげ)は松江の東の羽倉(和久羅)山地区出身かと思われる。尼子十勇士の一人といわれた秋上庵介配下の勇将で月山周辺の戦闘で武勇の名をあげていた。陰徳太平記によると尼子回復戦で、元亀二年(1571)3月兵500を率いて、毛利方の米子城を陥れ、勢に乗じて日吉津に上陸して、民家に火を放ち、杉原盛重の本拠尾高城を陥れようとしたが、杉原方700の兵にせめられて味方は敗退した。孫兵衛は一人ふみとどまって奮戦したが、衆に敵せず、壮烈な死を遂げたという。碑は昭和3年に建てられ、足立正氏の文を刻んでいる。
羽倉地蔵
羽倉地蔵


御新田開発碑(保護文化財)昭和50年11月6日指定
所在地 今吉275番地
今吉村新田約40ヘクタールは、日野川右岸の荒地に着目した植田彦三郎(西伯町出身)が造成したものである。新田発願には領主荒尾氏の許可を必要とするので、彦三郎は何回も出府し、やっと許可を得た。日野川上流での冬期のカンナ流しによる泥水を熊党で蚊屋井手からさらに現地までの井手で導き、砂地に泥を流し込む難作業が、弘化2年(1845)から10年以上も続けられ、安政4年(1857)には新しい村に「今吉村」と命名をうけるに至った。碑裏の「興邵院張嶽李仙居士」は彦三郎の戒名である。
御新田開発碑
御新田開発碑


はぜの木(記念物)昭和51年2月13日指定
所在地 富吉702番地先
米子市吉岡368番地
 江戸時代において藩内の蝋の需要は年々多くなり、品不足をつげるようになった。さらに幕末には江戸藩邸の入用にも、国産の蝋を回すようになった。そこで藩では、何回も触れを出して、山裾、原野、川土手などでの(はぜ)の栽培を勧め、実の買い集めに努力した。嘉永5年(1852)の触書によると、栽培技術の指導や監督役(植物方下見回り)に、日野川東地区では下新印の為三郎が任命されている。この櫨並木はそのころからのものと思われるが、わずか数本になってしまったのは残念である。
はぜの木
はぜの木


元荒神(記念物)昭和53年1月13日指定
所在地 富吉340番地2
この元荒神は、昔からこの辺一帯にあった集落を、かげで守護する神として祭られてきた。元禄16年(1703)におきた日野川大洪水のため、この地にあった集落が、ほとんど流された。そのために、安永年間(1772~1781)には、次々と離散、転住し、今の富吉、今の米子市中島へと集落をつくっていった。現在は、この土地の付近を「古屋敷」という地名でよび、この元荒神だけがその往時をとどめている。
元荒神
元荒神


蚊屋島神社 「龍の彫刻」(日吉津村指定文化財)平成26年9月24日指定
所在地 日吉津380番地

 蚊屋島神社は、蚊屋庄二十九ヵ村の総社として崇敬を集めてきた神社で、近世には日吉津大神宮と称されていたが、明治元年に現在の名称に改められた。
 拝殿と向拝の上部に、計三体の龍が彫られており、江戸時代中期から末期、松江藩主松平治郷に木工方として仕えた「小林如泥」晩年の作だと伝えられている。
 本作品と同形式の彫刻は、日本各地の神社・仏閣に見らるが、規模・芸術性においては、他の追随を許さないものである。
龍の彫刻
龍の彫刻


文殊菩薩像(日吉津村指定文化財)平成26年9月24日指定
所在地 富吉1028番地

 文殊菩薩は、知恵をつかさどる菩薩であり、この、富吉文殊堂に祀られている「文殊菩薩」像は、右手に智剣、左手には青蓮華を持っている。
 像の制作時期は不明だが、文殊堂の口伝によると、「時の勢力家山根氏により、寛政年間(一七八九~一八〇〇年)に丹後国(京都府)天野橋立の知恩寺から勧請した文殊堂を建立した」とあり、この時代の作だと考えられる。

文殊菩薩像
文殊菩薩像

 
村指定文化財の位置は、下記のファイルをご覧ください。






 
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